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国指定文化財

印刷ページ表示 更新日:2020年12月1日更新

史跡 本ノ木・田沢遺跡群(本ノ木遺跡)(国指定史跡)
本ノ木遺跡(国指定有形文化財)
沖ノ原遺跡(国指定史跡)
秋山郷及び周辺地域の山村生活道具(国指定有形民俗資料) 
国指定文化財一覧

国指定文化財

町内にある7件の国指定文化財の内4件を写真で紹介します。

史跡 本ノ木・田沢遺跡群(本ノ木遺跡)(国指定史跡)

本ノ木遺跡全景 

 本ノ木遺跡は、昭和31年に芹沢長介が第1次調査、昭和32年に山内清男が第2次調査を行いました。第1次調査から50年後、本ノ木遺跡発掘調査団により第3次調査が行われ、その後は國學院大學と津南町教委により、第12次調査まで行われています。
 これらの調査の結果、尖頭器石器群と押圧縄文土器群が混在する形で出土した水田面であるA地点と、押圧縄文土器群の単一集中部が発見された杉林であるB地点とに分かれ、両地点間には旧地形としての浸食谷が確認されました。A地点の尖頭器石器群は、「本ノ木型」と評されるほどの特徴的な細形尖頭器を主体とし、抉入削器や掻器および石斧が含まれています。
 本遺跡は、併せて史跡指定を受けた「壬・田沢遺跡」と共に、旧石器時代から縄文時代草創期における遺跡群の変遷と、信濃川の流路等を含めた地形の変遷を具体的に知ることができ、遺跡と自然環境・地形の変化を明確にできる全国でも稀有な事例であることが評価されました。

本ノ木遺跡出土品(国指定重要文化財)

本ノ木遺跡出土品 

 本ノ木遺跡第1次・第2次調査での出土品が、国指定重要文化財に指定を受けました。第1次・第2次調査後、出土した遺物の編年的位置付けを巡って調査者相互の解釈が対立し、「本ノ木論争」として学界を席捲します。これは、多量に出土した尖頭器と土器が直接伴うのか、あるいは時間的前後関係を持つのかという論争であり、土器を後世の紛れ込みと位置付けた芹沢長介氏に対し、土器と尖頭器が直接時代的に共伴すると主張した山内清男氏との見解の相違です。この論争はその後も、縄文時代開始期の時代観と遺物の組み合わせをどのように捉えるかという議論として、現在もなお研究が続けられています。以上のことから、本遺跡出土品は、日本における縄文時代開始期の遺物の組み合わせと、その変遷過程を知る上で、他に比類のない資料であることが評価されました。

沖ノ原遺跡(国指定史跡)

沖ノ原遺跡複式炉 沖ノ原遺跡は昭和47年・48年において慶応義塾大学文学部考古学研究室(江坂輝弥教授)により遺跡範囲確認調査が行われました。その結果、縄文時代中期の環状拠点集落であることが判明し、国営苗場山麓第一開拓建設事業範囲から除外して約2万4千平方メートルを保存しました。その後、昭和53年に国指定史跡に登録されました。

秋山郷及び周辺地域の山村生活道具(国指定重要有形民俗文化財) 

津南町民俗資料館 昭和30年代から昭和40年を中心に町で収集保存した秋山郷および周辺地域の山村生活道具が、昭和51年に1057点、平成3年に629点、国指定有形民俗資料に登録されました。カラムシから繊維をとり、その繊維で糸を紡ぎ、その糸で編んだアンギンおよびその編み台一式や、樹皮を利用した容器、木を素材にした容器や道具、熊猟の道具、信仰資料である釜神様など、山村に暮らす道具一式が含まれています。保存された資料点は、津南町歴史民俗資料館に分類収蔵展示されています。 

国指定文化財一覧

指定番号種別名称指定年月日所在地管理者備考
1名所天然記念物田代の七ツ釜昭和12年6月15日津南町所平国土交通省
(旧:建設省)
 
2史跡沖ノ原遺跡昭和53年5月11日津南町沖ノ原町教育委員会縄文中期
3有形民俗秋山郷及び周辺地域の山村生活用具

昭和51年8月23日
(追加:平成3年4月19日)

町歴史民俗資料館町教育委員会1,686点
4考古資料堂平遺跡出土火焔型土器平成18年3月17日町歴史民俗資料館文化庁重要文化財
5考古資料堂平遺跡出土王冠型土器平成18年3月17日町歴史民俗資料館文化庁重要文化財
6史跡本ノ木・田沢遺跡群(本ノ木遺跡)令和元年10月16日津南町卯之木

町教育委員会

十日町市と共に指定
7考古資料本ノ木遺跡出土品令和2年9月30日町歴史民俗資料館

町教育委員会

土器片:66点
石器:1214点
附:16点

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